変な映画が観たい

しがないWEBデザイナーです。映画と音楽とデザイン関連のこと適度に適当に書きとめます。

ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージを観てきた

品川にある原美術館で開催中の『ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ』を見てきた。

都内では十何年振りという大雪の日にわざわざ赴いた訳ですが、それもあってか、土曜日の午後というメインタイムにも関わらず比較的空いていてゆっくり見て回れたのが意外と嬉しい。

 

作品数38点と、数はあまり多くなく、その上作品自体も小振りなものが多いので少々物足りなさを感じてしまったなぁ(作品がでかければ良いってもんでもないが)。

しかし、「もっとたくさん見たい」という謎の欲求が掻き立てられる不思議な体験だった。
 
どの作品も生々しさともの悲しさが同居し、またどこかシュールレアリスティックな雰囲気を纏っていた。
コルク栓が並べられているだけの絵でさえも、どこか艶めかしい印象を持つ。
 
作品の傾向としては肖像画が多いのだが、全員俯いていて目線が合うことはない。
それは作者が意図的に描いていないのだとは思うけれど、ふと、無意識的に避けている部分もあったりするのかなー、と思ったりする。
 
肖像画や肖像写真における視線は、作成者や撮影者の存在を意識させると同時に、モデルや被写体の自己を強く意識させるとも言われている(自我意識)。
 
その逆で視線が外れた肖像画(写真)は被写体の目線の先を想像させたり、モデル(被写体)自身の思考を想像させると言う(つまり「こいつ何考えてるんだろーな-」という想像が掻き立てられる)。
 
正直言って、ボレマンスが描く人物については視線が外れているとかいう話ではなく、視線が合わない構図ということがあるわけで、そこがシュールレアリスティックな雰囲気を醸成する要因の一つなのかなーと。
 
1つ2つそういう作品があってもあまり疑問を持たないかもしれないけど、意図的にそうした作品が並んでいると、なかなかの違和感でこれが面白い。
ま、さすがにどういう意図で描かれているかなんて実際の所わかりませんが。
 
そして何より、美術館(原美術館)と一体化しているかのような収まりの良さ。
まるで最初からそこにあったかのような自然さは何なんだ。
小説や映画に出てきそうな雰囲気で心乱される感じ。
 
きっと楽しいと思うので、色んな人に見て貰いたいし感想を聞きたいなぁ。