愛情に飢えたおっさんの哀しい性 - 『渇き。』を観てきたよ -
中島哲也監督作品『渇き。』を観た。
賛否両論らしいけど、確かに評価が極端に分かれそうな作品だなという印象を持った。
なぜなら映画自体が極端な作りだから。
役者の演技も演出もストーリー展開も、出てくるキャラクターたちも暴力描写もスゴかった。
そういった「極端さ」を面白がれるかどうか、という所で意見が分かれるのかなーと。
この作品を観た感想の中で「記憶から消したい」といっている人が居たけど、なかなか良いこというなぁと思った。
強烈に脳内に刻まれる感じがあった。
強烈だからこそ人々の関心が向き、賛否を議論できる。
テレビドラマのスピンオフみたいなフワフワした、文句を言う気にもなれない作品とは次元がちょいと違う。
役所広司も演じてて楽しかっただろうなぁ。
実際、楽しそうだったものな。
生き生きしてた。
ギラギラしてた。
けれど見終わって思うのは、主人公は奥さんや娘に愛されたかっただけなんだろうということ。
「自分はこんだけ愛してるのに」っていう独りよがりな、暴力という愛情しか注げない人間の哀しい性。
というか、主人公が家族を愛しているかどうかは怪しい(どっちにも取れる)けれど、「愛されたい」という強烈な欲求だけは確かだと思う。
だから渇いてるんだなぁ。
渇いて渇いて仕方ないから酒も止められない。
愛情の渇きと、統合失調症の(薬の)副作用として起こる喉の渇きが二重表現になっているように見えたのも面白い。
そう思うと虚しさと可笑しさがこみ上げてくるようで、なかなか複雑な心持ちになる。
しかし、主人公が序盤で統合失調症と判明するところからして、虚実入り交じっている感じなのかと思いながら観ていたけれど、そこら辺の線引きはイマイチ分からなかった。
ぐちゃっとかき混ぜたような演出は、思考がバラバラな主人公目線を意識した演出のように感じられた。
あとは原作を読まなければ分からない点があったり、丸ごと抜けているエピソードがあったり、または原作にはない部分が入っていたらしい。
そこら辺を加味すると原作読んでから観た方が理解度は深まるのかも知れないなぁ。
オダギリ・ジョーが何でスニーカー履いてんのか凄く気になってたが、原作ではそこら辺に触れているようなので読んでみてもイイかな。
観たら誰かと話したくなる映画だったので、きっとイイ映画と思う。
好き嫌いは別にして。