スコット・デリクソン監督作『ドクター・ストレンジ』感想
マーベル映画はほぼチェックしています。
かといって猛烈なファンかというとそうでもない(Blu-rayも1コか2コくらいしか持ってない)。
でも毎回楽しく観ています。
そんな中、今回は特に、特に特に期待していた。
期待しかなかった。
そのキャスティングの一報を聞いたときの衝撃たるや…
「そんな世界線がこの世に存在するのかッ!!」
という。
いやぁ…もう…本当に実現して良かった。
しかもティルダ・スウィントンがマッツ・ミケルセンとカンバーバッチさんのお師匠さんとはなぁ…尊いなぁ…
既にこの時点でぶっちぎりの優勝です。
ようやってくれました。
もうこの際ストーリーとかキャラクターとかどうでも良いとさえ思っていました。
そのくらいの勢いだったわけですが、やはり期待を上回ってきやがりました。
映像表現が無茶苦茶ゴイスーじゃないですか、本作。
革新的とまでは言いませんが、こんな夢みたいな(もといドラッグでみる幻覚のような)世界観を映像として再現してくれるなんて正直言って気が狂っている。
というか観てるこっちの三半規管が狂いそう。
そのような世界観においてティルダ・スウィントンがアクションを披露するって本当にありがたみしかない。
心の中で手を合わせましたよね。
彼女は演技力によって普通の役などを演じることもあるのですが、こういった一種異常な世界観にこそ相応しい存在なのだと考えます。
本来はアジア人であるエンシェント・ワン役を白人女性であるティルダが演じることに批判が集中したようですが、結果的にこの配役は正解だったように思えます。
1960年代から出版れている原作ではエンシェント・ワンはチベット人男性ということなんですが、欧米人にとってチベットという土地はかなりミステリアスかつエキゾチックな国と映るでしょうし、そこがキャラクターの肝なわけです。
一方、世界規模の公開を前提とした映画版においてこの役は誰が見ても明らかであろう彼女の持っている神秘性、つまりは「人間ならざる者」感が必要だったのだろうと、まぁ好意的に見てそのような解釈ができるかなと。
だから現在、ハリウッドで問題視されているホワイトウォッシュとは分けて考えて欲しいと個人的には思いました。
脚本の段階でティルダ・スウィントンを想定して当て書きされたキャラクターであったようですし、多くの人種に向けてこのキャラクターの持つ幻想的実在感に説得力を持たせるための算段があったのだと信じたい、という事もありますが。
まぁでもすごい良かったよ。
映画館で観るべき作品になっている素晴らしい作品でした。
そいではまた。