『恐怖分子』レビュー
断末魔は銃声
「恐怖分子」という単語をwebの中国語翻訳につっこむと「テロリスト」と表示された。奇妙なほど静謐なこの映画には、似つかわしくない響きだ、と思った。
本作を観た方ならタイトルが表す「その人」が誰の事を指しているのかは明白だが、ここで明示する事を差し控える。
私はこの映画を2度観たのだが、1度目はタイトルの意味までは知らなかった。そのときは、混血の不良少女・シューアン、カメラマンの青年シャオチェン、医師のリーチョン、その妻で作家のイーフェン、4人の物語であったように感じていた。しかしタイトルの意味を知ってから観た2度目には「その人」の物語であったかのように見えた。
しかも、それはまるで、まったく違う物語を観ているかのように感じるほどの新鮮さだった。
映画のなかで彼らは、少しずつすれ違う。
当局による強制捜査に出くわしたシャオチェンは、警察から逃げるシューアンに出くわして彼女の姿をカメラに収める。逃げたときに足を怪我した彼女は家で身動きが取れず、暇つぶし兼いやがらせ目的で手当たり次第にいたずら電話をかけ倒す。そのうちの一本を創作に行き詰まったイーフェンが受ける、といったように。
そうやってつい先刻までまったく関係しなかった人間の日常が少しずつ重なりあい、行き違う。人が人に干渉する、刺激を与える、影響を及ぼす。そこからまた違う人間に更なる影響を与える。
しかしそれは結果論でしかないし、影響がなかった場合のまた別の結果などはわかりはしないわけで。
けれども、誰もが一度は考えてしまう。「あの時、こうしていれば」。
もしくは、「一体なにがいけなかったんだ?」かもしれない。
「その人」はきっと、後者だろう。
「何処で間違えた?」という問いかけが聞こえてきそうなほどだった。
だんだんと社会に適応できなくなっていき、ちょっとしたきっかけで家族を失い、けれどほんの少しのプライドが邪魔をして虚勢を張ってしまう、その過程に、卑小なテロリストの理(ことわり)が垣間見える。
少しずつ、確実に、すべてを失っていく「その人」の妄想は、実に空しく、あっけない。
自分の居場所さえなくしてしまった人間の断末魔は、銃声だ。
糸が切れた操り人形のように、だらんと身体を床に投げ出したその後頭部はぐずぐずにすっ飛ばされ、血液がだくだくとしたたり落ちて広がっていく。
それまではシンプルに美しくまとめられた絵面が印象的だったはずなのに、そのシーンだけはやけに死体の実在感があり、「その人」は死んでようやく存在している、といった趣だ。
そして記憶違いでなければその死んだ人の眼からは涙がこぼれていたような気がする。
その時にふと思い出したのは、シューアンの母親がかけたレコード、プラターズの歌う『Smoke Gets In Your Eyes』の事だった。
"When a lovely flame dies, Smoke gets in your eyes."
『恋の炎が消えた時 その煙が目にしみて涙が出るんだ』